SSブログ

高倉健に続き菅原文太も死去。昭和は遠くなりにけり [映画]

俳優の菅原文太さん死去のニュースが、師走の日本列島を駆け抜けました。

2014年11月28日午前3時。
転移性肝がんによる肝不全で81歳でした。

先日、高倉健さんが亡くなられたばかり。
昭和を代表する俳優の相次ぐ訃報には、本当に寂しさが募ります。

高倉健さんの「幸福の黄色いハンカチ」が、つい先日、日本テレビ系
で放送されました。

これから年末にかけて、菅原文太さんの追悼番組もお茶の間(死語やね)
で見られることでしょう。

菅原文太さんの主演映画の代表作としてまず頭に思い浮かぶのは
「仁義なき戦い」でしょう。
1973年〜1976年(昭和48年〜昭和51年)まで、
合計8作品が東映からシリーズ化されました。
松方弘樹さんとの共演作品。


広島でのヤクザ同士の抗争を描いたこの作品。
作家・飯星晃一さんの原作をもとに映画化されました。

派手な撃ち合いや、日本刀を振り回すシーン。
当時はまだ小学生だった僕にとっては、
怖くもありカッコ良くもありました。


高倉健さんの任侠映画のときもそうでしたが、
いわゆるヤクザ映画を見終わったばかりの客には、
まだビンビンに余韻が残っているんですよね。
映画館を出るやいなや、肩をいからして風切って街中を歩いてききます。

ウソのような本当の話。
よく漫才のネタになったりしてましたが、
昭和のオジサンって、単純な熱い男が多かったんだと思います。

私の実家近く。
堺東銀座通り商店街で、当時堺市立錦小学校の生徒だった僕が見た光景です。
コブクロのお二人がここで出会うはるか昔です。
いわゆる“昭和の原風景”でした。

この「仁義なき戦い」を見てから「広島弁=ヤクザ」のイメージが定着
してしまったのではないでしょうか?

僕の頭の中にも完全に刷り込まれてしまいました。

そのことを広島出身の僕の友人に話しますと、腹を抱えて笑われました。
もちろん、広島の人はあんな怖いおじさんばかりではありません。


今では「SPA!」とタイトルを変えている「週刊サンケイ」
飯星晃一さん原作のこの作品が連載されました。

「週刊サンケイ」といえば、「平凡パンチ」と並ぶ昭和を代表する週刊誌
のひとつです。
梶原一騎原作の「カラテ地獄変」が連載されており、
主人公・牙直人や極真空手の大山倍達館長をモデルにした大東徹源・テツダイトー
らのお話には、グラビアページの写真と同じく興奮しっぱなしでした。


愛川欽也さんと共演した「トラック野郎」シリーズ。
1975年〜1979年(昭和50年〜昭和54年)までの期間、
10作品が同じく東映から上映されました。

もちろん昭和の熱い単純なオジサン方が影響を受けないはずはありません。

長距離トラックの運転手さんらが、ダンプカーに派手な電飾をとりつけて走る姿、
いわゆるデコトラは街中で普通に見ることができました。
運転席ではカースレテオをガンガン鳴らしています。

全開した車窓から大音量で流れる演歌。
たとえ真冬であっても聴く事ができました。

タミヤの戦車作りに熱中していた僕は、このトラック野郎のプラモデル作りに熱中しました。

ガンプラはまだこの世に存在しておらず、「機動戦士ガンダム」の第1回が放送されるのは
1979年(昭和54年)4月7日のことです。


高倉健さん、菅原文太さん。

お二人のご冥福を心から祈ります。

昭和を代表する名優が亡くなるにつれ、
懐かしい昭和という時代がどんどん遠くなっていく気がします。





スポンサーリンク






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。