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qbk記憶に残る元日本代表・柳沢敦選手が引退 [スポーツネタ]

柳沢敦選手も今季限りで現役を引退することになりました。
所属するベガルタ仙台から発表されました。
37歳です。


同じく日本代表として活躍した中田浩二選手の引退報道
があったばかり。

また一人、サムライブルーのFWをつとめた
元日本代表戦士が、
ユニフォームを脱ぐことになりました。


柳沢敦選手。

qbk」、「ヘナギサイクロン」などの造語を生み出した
記録よりもどちらかと言えば記憶に残る選手です。

まずもって語り継がれるのは「qbk」なる新語を
生み出した、あの伝説的なゲームではないでしょうか?

自身のキャリアにとって唯一となるはずだった
日本代表としての、ゴール。

2006年6月18日
ワールドカップドイツ大会でのクロアチア戦ですね。

0−0で折り返した後半5分44秒、

加地亮が抜け出し、クロスされたボールは、
相手GKのいない柳沢の目の前へ。

だれもがゴールと思った次の瞬間、
何を思ったのか、柳沢選手は、ゴールを狙わずに
また右へとパスを返しました。

大きくゴールポストを外れたボールは
無情にも転がっていきます。

決定的なビッグチャンスを逃した日本代表。

ジーコ監督もたまらず、顔を覆います。
日本中からため息が漏れた瞬間でした。

「急にボールが来たので…」

Q 急に
B ボールが
K 来たので

およそ、日本代表らしからぬ、といいますか
とてもサッカー選手とは思えない名言(迷言?)
を覚えている方もおおいでしょう。

それぞれの頭文字をとったこの新語「qbk」
は、もちろん流行語大賞には選ばれておりません。

そしてqbkと同じく揶揄されて生み出された
造語に
「ヘナギサイクロン」
があります。

2003年9月10日
新潟で行われたキリンチャレンジカップ
でのクロアチア戦でした。

0−1のビハインドで迎えた、後半開始13分6秒
中田英寿からもらったパスをゴールではなく
真上へ蹴り出します。

へ     ヘ●●ソ
ナギ    柳沢
サイクロン サイクロンシュート

日本代表になった実力派FWなのですが、
期待の裏返しとして、ミスをあげつらわれる
のは気の毒としか言いようがありません。


「qbk」日本サッカー史に残る名言ですね。

「ヘナギサイクロン」言い得て妙ですが、
こちらはあまり使わない方がいいですよね。


梨花との熱愛報道があったのは1999年のことです。

梨花との密会デーとが報じられたのは
シドニー五輪のアジア1次予選の真っ最中。
しばらくの間は日本代表メンバーから
外されたこともありました

鹿島アントラーズからセリエAのサンプドリア、メッシーナ
を経て、鹿島に出戻り、京都に在籍した後、2011年からは
ベガルタ仙台でプレーしました。

元JJ専属のファッションモデル・小畑由香里さんとの間には
一男一女と2人の子供がいます。

晩年は東北の被災地の復興のためボランティア活動を積極的に行っていた
柳沢敦選手。

素晴らしいプレーも含めて、いつまでもファンの記憶に残ることでしょう。
本当にお疲れさまでした。

経歴
現役生活19年
1996年 富山第一高校から鹿島アントラーズ入り
2003年〜2004年 サンプドリア(セリエA)
2004年〜2006年 メッシーナ(セリエA)
2006年〜2007年 鹿島アントラーズ
2008年〜2010年 京都サンガF.C.
2011年〜2014年 ベガルタ仙台

J1  370試合 108得点(歴代10位)
セリエA  44試合   0得点
日本代表  58試合  17得点
(※ 2014年12月5日現在)








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